
こんにちは、灯台女子の不動まゆうです。
いかがお過ごしですか?
日本列島が桜から新緑の季節に変わりつつありますね。夏になる前のこの時期は灯台めぐりにおススメです!
去年の今頃、私は沖縄で灯台めぐりをしていました。曇っている日が多かったのですが、気温が上がりすぎないので快適に灯台を訪問できました。
そこで今回は沖縄本島と、伊江島の灯台についてご紹介します。
沖縄本島で灯台巡りをするならここ!
屋根に〇〇が!〜知名埼灯台〜
まずはとっても沖縄っぽい灯台から!こちらは知名埼灯台といいます。

知名埼灯台(南代市)海上保安部さんが点検をされていたのでドアが開いています。
ほら!屋根にシーサーが!

このシーサーは16代目の第11管区海上保安本部長さんがお作りになったものです。シーサーは魔よけの意味を持っているので、きっと灯台と共に沖縄の海を見守っているんですね。
スラリとした姿が美しい!〜残波岬灯台〜
さて、次に沖縄本島で一番有名な灯台に行ってみましょう。残波岬灯台です。

1974年(昭和49年)に建てられた灯台です。塔の高さは31m。スラリとした姿が美しいですね。
この灯台は参観灯台なので、寄付金200円を支払うと中に入ることができます。展示室も完備しているので、灯台について学ぶこともできますよ!
灯台に登ると、光源もしっかりと見ることができます。
私は灯台女子の中でも、‘フレネルレンズ萌え’(灯台の光を遠くまで届かせるためのレンズが好きな人のこと)なので、レンズが入っていないとテンションが少し下がってしまうことがあるのですが、実は、このLU-M型は内心カッコイイと思っています。

他にもレンズを使っていない灯台の場合、LED灯器や、LB-M型なんていうのもあるのですが、私はレンズ以外ではこのLU-M型が好みです。ぐふふ。
LU-M型の光を見たかったので夜まで待ってみました。
さて、点灯の時間を待っていると、素敵な景色を眺めることができました。夕日です。

この日は少し雲が多かったのですが、人々がシルエットになってとてもドラマティック。
残波岬の夕日ってこんなに素敵なんだぁと新たな発見。
そして今か今かと瞬きするのも惜しんで待っていると、待望の点灯時間!

ほんのりつき始めました。

だんだん光が強くなっていきます。この姿に痺れます~。

光芒が美しいです。
さて、この残波岬灯台の上からも島影を確認できるのですが、沖縄本島の西側に伊江島という島があります。
沖縄本島の本部港から伊江島へ
本部港からフェリーがでていて所用時間は30分ほど。
海風を浴びながらデッキにいると、とんがり帽子のようなシルエットが近づいてきました。

サトウキビやタバコ畑が一面に広がる、美しくのんびりとした静かな島。

この優しい風景からは想像しがたいのですが、第二次世界大戦の時は激戦地となった島でもあります。
伊江島の悲しい歴史
この島を訪れたいと私が思ったのは、伊江島灯台で灯台守をされていた方とご家族の方々の慰霊祭に参加したかったからでした。
昭和19年4月16日、伊江島へ米軍が上陸作戦を決行。激しい銃撃戦では、軍人さんだけでなく、民間人も切り込み隊員となり、竹槍、手投げ弾、爆薬の箱を抱えて米軍陣地に突入しました。
島を守るために立ち上がった島の人々の中には、赤ちゃんをおんぶしたご婦人も含まれていたという記録には言葉を失ってしまいます。
米軍発表によると伊江島での日本軍戦死者は4760人で、そのうちの1500人は島民でした。

当時、この島には東洋一と言われるほどの灯台が立っていました。
この伊江島灯台は鉄造で高さは約30m。第1等レンズというとても大きな規格のレンズを使っていました。
なぜなら本州と沖縄、台湾を結ぶ航路のための、とても重要な目印となっていたからです。
この灯台へも爆弾が落とされ、レンズは溶解。灯台自体も原型を留めぬほどに破壊されました。そして最後まで灯台を守っていた灯台守の方々と、小さなお子さんを含むご家族も全員殉職されました。
公式記録は4月21日となっており、今でも毎年慰霊祭が執り行われます。
慰霊祭には、灯台守のご子息の方々と第11管区海上保安本部の方々。そして米軍関係者が出席し、灯台の跡地(現在は戦後に米軍が建てた近代的な灯台が建っています)で執り行われました。


灯台めぐりを生きがいとして楽しんでいる私ですが、灯台には悲しく辛い歴史も刻まれていると認識を改めました。
大事なことに気づかせてくれた島 伊江島
今年も4月になって伊江島を思い出しています。
そして、伊江島だけでなく、戦争で破壊された歴史的な灯台は他にもあります。
本来灯台は海に出た人を、愛する家族の元に無事に帰すために、人種や国籍に関係なく、光をなげかけ導く存在です。
平和な毎日を過ごし、灯台めぐりを楽しめるということが、どれかけかけがえのない幸せなことなのか気が付きます。それは決して当たり前のことではなく、先人の方々が命をかけて守り、訴えてきたからこその恩恵だと感じ、感謝せずにはいられません。
伊江島で食べた在来品種の小麦でつくる沖縄そばは、つるつるした喉越しで、香りもよくて美味しかったなぁ。

素敵なカフェもあったし、可愛い猫もいました。


日帰りも可能な離島です。
今年は4月22日~5月6日まで「第23回伊江島ゆり祭り」が開催され、100万輪のテッポウユリと100品種のユリが咲いている光景をみることができます。
ゴールデンウィークや夏休みに沖縄に行かれる予定の方も多いと思います。ぜひ旅行を楽しんでいただくと共に、沖縄の歴史にも向かい合ってみてください。
小さな離島、伊江島は大事なことに気づかせてくれた島でした。
沖縄県伊江村 伊江島(いえじま)は、「沖縄美ら海水族館」のある本部半島の北西約9kmの洋上に位置しています。島へのアクセスは、本島の本部港から1日4往復するフェリーで約30分。日帰りで気軽に行ける離島で、ゆり祭り(毎年4月下旬〜)が有名。島のシンボルは、城山(グスクヤマ)。島外では「伊江島タッチュー」の名で親しまれている聖地です。「日本の離島一覧」もご参照ください。(編集部 記)最新情報をお届けします