【灯台女子プレゼンツ】離島灯台の魅力を発信!第3回 小佐木島灯台(瀬戸内海芸予諸島)

灯台をソフトクリームに見立ててみました!

みなさんこんにちは、灯台女子の不動まゆうです。

やっと春を感じられる季節になりましたね。さて、どこの島に渡りましょうか!(わくわく)

島の多い場所はどこ?

さて、島が多い場所といえばどこを思い浮かべるでしょう。
県別だと長崎県が1位ですが、瀬戸内海を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。その数は727に上るそうです。

瀬戸内海の景色は、キラキラ光る海面と島並み、眺めているだけで心が癒されますが、船にとっては航路が狭く、縫うように進まなくてはならない難所です。

だからこそ古くから灯台が建てられ、現在も重要な役割を担っています。

因島の大浜埼灯台

瀬戸内海に建つ灯台は小柄で控えめな印象を持ちます。

外洋から日本を目指してくる船を導くためには遠くまで光を届けなくてはなりませんが、瀬戸内海の灯台は光の届く距離が長い必要はないからです。
要するに国内の移送のために建てた灯台であり、日本にとって重要な歴史を背負った存在でもあるのです。

瀬戸内海の灯台の歴史

明治27年(1894年)5月15日、この海域に8基の灯台(百貫島灯台、大浜埼灯台、小佐木島灯台、高根島灯台、大久野島灯台、鮴埼灯台、中ノ島灯台、大下島灯台)が誕生しました。灯台建築には多額な費用が必要となるため、この時代、同じ年にこれだけの数が建てられるのは稀なこと。如何に灯台が求められていたのかがわかります。

なぜこの時期に灯台が必要だったのでしょうか。

歴史に詳しい方はピンときたかもしれません。明治27年は日清戦争が始まった年。
当時の日本は、清(現在の中国)やロシアを意識し、軍事力を高める必要性を感じていました。
瀬戸内海の地形は、入り組んでいるからこそ敵から攻められにくいという利点があり、呉に軍港が作られ、主要な港である神戸港、大阪港への航路でもありました。陸の交通網が十分でなかったこの時代、船舶は重要な輸送、移動手段だったのです。

わざわざ狭い本州の沿岸を通らずとも、四国の愛媛県今治市沖の来島海峡を抜ければいいのでは?とお感じになるかもしれません。しかし来島海峡は日本三大急潮流でまっさきに名を轟かす難所中の難所。来島海峡を通ることを避け、迂回するルートとして、瀬戸内海の航路が確立されたのでした。

資料提供 尾道海上保安部

明治、大正、昭和、平成とまさに激動の日本を見守ってきた灯台たちですが、先ほど紹介した8基の灯台のうち、6基は当時の姿をそのまま残し現在も現役です。

今回はその中の1基、小佐木島灯台を紹介します。(地図の③)

小佐木島へ向かって乗船

さっそく小佐木島へ渡りましょう。
三原港から定期便がでていて、高速船で15分ほどで到着します。
いや、するそうです・・・。

と言いますのは、私は尾道海上保安部さんが企画してくださったイベント(航路標識について正しい認識を促すための勉強が目的)に参加させていただいたので、海上保安部さんの船に同乗させていただきました。(今回、灯台に登り、内部についても写真と共にご紹介しますが、それが可能なのはこの企画のおかげです。通常は内に入ることはできませんのでご承知おきください)

小佐木島に向う途中で、長太夫礁灯標が見えてきました。

灯標というのは、浅瀬や岩礁などに建てられ、危険な障害物を知らせ、航路を示すものです。この長太夫灯標も明治27年に建てられた8基と同じ日に誕生しました。

魚がたくさんいるのでしょうか。釣りを楽しんでいる小舟が浮かんでいました。

小佐木島は静かな島。周囲3キロちょっとの島で、住んでいらっしゃる方は7名と聞きました。

港近くにはお家が並びます。海を眺めながら過ごせる毎日が心から羨ましいと感じます。

島の西側に建つ灯台へ

灯台までは徒歩20分。港から森を抜け、砂浜を渡り、島がほぼ自然のままであることに感銘をうけながら歩きました。

すると真っ白な灯台がひょっこりと顔をのぞかせました。

風よけの壁に囲まれて、貴公子のような立ち姿(擬人化してしまうのは灯台女子の癖です。ご了承ください)。

石積みの風合いが白く塗装された上からでもわかります。

高さが6.5メートルの小型の灯台ですが頼もしく感じます。

いざ灯台の内部へ潜入!

では、許可をいただいて灯台に登ってみたいと思います!
扉を開けて頂くと・・・

正面の扉の中の様子

おっと!この灯台は内側から登るタイプではないんですね!

中は用具入れになっていました。脚立や、お掃除用具、そして左側に見えるのは予備の玻璃板。玻璃板は、ハリハンと読むのですが、灯台の光る部分を囲んでいるガラスのことです。割れてしまった時に交換するために置いてあるんです。

では改めまして、ハシゴで登ります。

大きな灯台だと、灯台の内部に階段やハシゴがあるのですが、この灯台は外からハシゴをかけて登ります。
踊り場の手すりには可愛らしい玉ねぎが実っていました。
現在、光を発するのはLED灯器です。

上を見上げると

灯台の屋根(灯籠屋根)の内側

ドーム状の屋根の内側に穴が空いていますね。煙突の役目を果たせるようになっているんです。電気が使われていなかった時代、ガスや油による炎で光を発していたため、熱や煙を排気できる設計となっていました。

今は太陽光パネルで集めた自然エネルギーで光を発することができます。

太陽光パネル。ぴんぴんと伸びている棒は鳥を避けるため。

120年以上もこの場所で船を導いている間、灯台の管理方法、そして人々の暮らしも大きく変わってきたのでしょう。

小佐木島を守るもうひとつの海の守り神

さて、小佐木島にはもうひとつ素敵な航路標識があります。
それは港のすぐ近くにありました。

小佐木沖土岩照射灯です。

こちらは12メートル

島のすぐ近くにある危ない暗礁に注意を促すため、目印となっている柱にスポットライトのように光をあてて目立たせているんです。

夜はスポットライトが放たれます。

島の暖かさを感じる果実

私たちが港に戻ってくると、島の方が話しかけてくださいました。定年後、この島の自然の豊かさに惚れて移り住んだのだそうです。

そしてカボスをひとつくれました。

薬味として焼き魚に絞りました。とてもいい香りでした。

お庭で育てていらっしゃるんですか?と伺ったところ、自然に生えている木だそうです。
島でとれたものは、住んでいるみんなで共有しているんだよ。と聞き、なんて暖かな島だろうと感じました。

帰りの船を小佐木島灯台が見送ってくれました。
周りの木々に負けないように、一生懸命に顔を出しているような姿がなんとも愛らしく、ちょっと寂しそうにもみえるその姿を目に焼き付けました。

また絶対おとずれたい。そう感じる小佐木島でした。
小佐木島(こさきじま)は、広島県三原市、三原湾に浮かぶ島の一つで瀬戸内海芸予諸島の有人島。高齢化が進み、現在は人口7人(2017年)となっています。島へのアクセスは、三原港〜尾道市生口島の定期航路を利用します。島の南側には佐木島(さぎしま)、東側には無人島である宿禰島(すくねじま)があります。「日本の離島一覧」もご参照ください。(編集部 記)

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灯台どうだい?編集長 不動まゆう
東京生まれ。 灯台マニアがおくる崖っぷちマガジン「灯台どうだい?」の編集長。 10年ほど前、東京湾の真ん中にたつ灯台に心を奪われ、それ以降、灯台の魅力や個性を多くの人達に知ってもらう為に活動を開始。 「灯台愛好会 ライトハウスラバーズ」に所属して毎年「灯台フォーラム」を企画・運営しながら、2014年からは編集長として灯台専門のフリーペーパー「灯台どうだい?」を創刊。 灯台愛が溢れるフリーペーパーは「月曜から夜ふかし(日テレ)」や「有吉ジャポン(TBS)」でも紹介され、テレビ番組をはじめ、WEBメディアやラジオへの出演等、「灯台」や「フレネルレンズ」の文化的価値を訴えながら、「100年後の海にも美しい灯台とレンズを残す」ことを目指して活動の幅を広げ続けている。著書「灯台はそそる(光文社)」「灯台に恋したらどうだい?(洋泉社)」