
皆様、はじめまして!灯台女子の不動まゆうと申します。
私は10年ほど前、灯台の面白さに気付き、それからというもの北は北海道から南は沖縄、さらに長期休暇がとれれば海外まで灯台を追い求めて旅をしています。
そして灯台の必要性を考えれば当然ともいえるのですが、離島にこそ凛々しく歴史ある灯台が立っているのです。
私にとって「離島と言えば灯台、灯台と言えば離島」というイメージができあがっているのですが・・・みなさんは灯台って意識して見たことがありますか?
「まだ現役なの?」なんて聞かれることもあります。
首を激しく縦に振って答えたい。「もちろんです!!!」
今こそ、灯台の魅力をもっと多くの人に届けたい!
なんと2018年は、日本に初めて西洋式の灯台が建てられてから150周年にあたるアニバーサリーイヤーなのです!
明治元年、開国と共に海外からの大型船が日本を目指してやってくるようになりました。
また国内の物流にとっても、道路や鉄道が発達していない当時、海運によって物資や人を運ぶ必要があり、灯台は重要な役割を果たしていました。
まさに日本近代化の立役者!
そして現在、日本には3000基を超える灯台が現役で活躍しています。
その中には明治や大正時代に建てられ、風雪に100年以上も耐える灯台もたくさんあるんですよ。
こうした灯台は人工的な建造物でありながら、その姿は自然と調和し、海の景色をより一層素敵に演出していると思います。
近代建築物としてみても興味深いですし、夜、閃光をなげかける姿は壮麗で、言葉を失うほどの美しさ。こんな面白い存在なのにまだまだ知られていない灯台の魅力。あーもったいない!
日本は島国で、離島もたくさんあるため灯台の宝庫といえます。
この場をお借りして『灯台の知られざる魅力』を伝えていきたい!
ということで私、これから月1ペースぐらいで全国の離島灯台をプレゼンさせていただく予定です。どうぞよろしくお願いいたします!
離島にある灯台って、どんな灯台?
第一回目の離島灯台として選んだのはこちら!
「水ノ子島灯台」

水ノ子島?どこにあるんだろう???
と思った方が多いかも知れません。そりゃそうです。だって無人島ですもの。
四国と九州の間に位置する豊後水道。そのほぼ真ん中に、草木の生えぬ巨大な岩の島が突き出しています。そして島からニョキニョキと生えてきたかのような大きな灯台。
塔の高さ約39m。これは離島灯台で日本一の高さを誇ります。そして白黒のボーダー柄となっていますが、これは船からよく見えるための工夫。離島では灯台の背景が空になる場合があり、その時、白一色の灯台だと雲の色に紛れてしまうからなんです。

ね!カッコいいでしょ!芸能人に例えるなら松田翔太ばりのクールイケ灯台だと思います。
この灯台、マニアなら誰もが知ってる憧れの存在なのですが、なにせ無人島ですので、定期船がありません。さらに船着き場もなく、岩場はとても滑るため上陸は大変危険を伴います。決して気軽に行ける場所ではないことをあらかじめご承知おきください。
私は灯台研究のため、あくまで自己責任ということで上陸させていただきました。




憧れの灯台に触れ、喜びに震えた瞬間です。
塗装のはがれた場所から美しい御影石を見ることができます。
明治37年、今から110年以上も昔に、島の岩盤を削って土台を平らにし、この場所に大きな石材を運びこんで建築していくのはどれほど大変なことだったでしょう。この石材は山口県の徳山から運んだそうです。
灯台の建材は石の他にも、レンガや、木、鉄、コンクリートがあり、灯台によって素材が違うのも面白いところです(この灯台は二重の円筒構造になっていて、外側は石、内側がレンガ、上の部分は鉄造という珍しい設計です)。

また、灯台より下の部分には工場のようなパイプがのびていて、島の深層部につながっているようでした。
こちらは波力発電のパイプだそうです。自然エネルギーをつかったエコな灯台なんですね。
ただ、このパイプの奥から聞こえる波音が グホォォォン・・グホォォォン・・と、まるで大きな海獣のうめき声のように聞こえて、ちょっと怖かったです。
灯台の要と言えば・・・?ここに注目!
さて、私が灯台を見るときに、一番注目するのは光を放つためのレンズです。

このレンズは、第三等大型というサイズのもので、日本で使われているレンズのなかで3番目に大きいサイズです。高さは1メートル50センチ以上もあり、回転することで全方位に光を放ちます。このレンズによって光を37キロメートル先まで飛ばすことができるんですよ。
私は灯台女子の中でも「レンズ萌え」なので、ちょっとレンズについて語らせいただきます。正式には「フレネルレンズ」と呼ばれ、1822年にフランス人物理学者であるオーギュスタン・ジャン・フレネルが発明しました。

この写真は宮城県金華山灯台のレンズですが、プリズムが同心円状に配置されている様子がよくわかると思います。このプリズムによって、レンズに厚みを持たせなくとも、光を効率的に遠くまで届けることができるんです。
点灯するとキラキラと光があふれ出し、宝石のように美しい存在です。まさに機能美といえます。
さて、昔は太陽光や波力で電気をつくることができなかったので、石油などを燃料にして炎を灯していました。そうすると当然、人間が管理を行わなくてはなりません。
レンズを回転させるのだって、分銅(重り)を巻き上げ、時計仕掛けのようにして回転させていたんです。
そのため、灯台守と呼ばれる技術者の方々が、灯台に家族で移り住み管理をしていました。
水ノ子島灯台は全国の灯台の中でも環境が厳しいので、ご家族は対岸の鶴見町にある官舎で生活をし、灯台守は交代で、灯台と官舎での生活を繰り返していたそうです。お父さんが無事に帰ってこられるかご家族も心配だったでしょうね。
灯台での生活を想像してみてください。陸から30キロ近くも離れた無人島で、台風がくれば風で揺れ、嵐となれば灯台すっぽり包み込みこむほどの大波が襲ってきます。船が島へ着岸できなければ、避難することも、食料や水を得ることもできません。技術力はもちろん、相当な責任感と覚悟がないとできない仕事だったのです。
戦争があれば敵からの標的になります。しかし灯台守は日本の軍艦のために必要とされる限りその場に残り、光を放っていました。実際にこの灯台も甚大な被害があり、レンズが破壊されました。まさに命がけで灯台を守っていたのが灯台守です。
もう現在、日本には灯台守という仕事はなくなってしまいましたが、この方々のことは忘れ去られてほしくないと強く思っています。
水ノ子島に上陸できなくても、灯台に近づける場所
最後に灯台と灯台守の仕事や生活について学べる場所があるので紹介します。
「水ノ子島海事資料館」です。

灯台に関する貴重な資料がたくさん展示してありますし、灯台守とご家族が住んでいた官舎が残されています。また、隣接する「渡り鳥館」には、水ノ子島灯台にぶつかって死んでしまった渡り鳥の剥製が展示してあります。これは当時灯台守だった方が、丁寧に剥製にされたもので、灯台守の方々の生き物に対する慈悲の表れです。今となっては渡り鳥に関する貴重な研究資料ともなっているそうです。
天気がいいときは、この場所からも水ノ子島灯台が見えますよ!
水ノ子島への上陸は危ない点も多いのでお勧めできませんが、ぜひここから想いを馳せてください!
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